甲谷匡賛(こうたにまさあき)「ALSな日々」

2007年より日記をこちらのブログに移行しました。

甲開日記2005年~2006年
2005年2月
2005.02.22(火) 広い部屋に移れると聞いてホッとした。
正直一番のストレスだった。
2005年3月
2005.03.10(木) 無意識(無明)の責任を取ること。
瞑想。
浄化。
階層的な心の層に気づくこと。
「悲しみの共同体」。
「私(エゴ)」の介入に注意(サティを入れ続けること)。
自己中心性(エゴ)から苦しみが生まれる。
     「私」は誰か? who am I ?

「お絵かきソフト」に少し慣れる。
想像していた以上に発散と集中の内にあった。
描くコトの心身に与える影響を改めて思った。
2005.03.12(土) 「悲しみの共同体」から舞踏で言うところの「衰弱体」は立ち上がる。
キリストを想え!!

晒すこと
青空の下に晒すこと
そこに
苦しみはあるだろうか
2005.03.14(月) ドンファンが言うように「世界を止めること」。それは時間を止めること。広大なる空間に自我を明け渡すこと。
2005.03.16(水) 思考は無常を捉えることは決してできない。
思考(私)は安定を求めていつも必死だ。だから安定(安住)することは決してない。

無常とは道(TAO)のこと。道と共に在ること。流れること。

それは目標を持たずに在ること。
目標が無い時に<あるがまま>がある。
2005.03.17(木) 生は神聖なものである。短い生を無駄にしてはならない。

情報化時代は生をよりいっそう断片化する。人は家畜のようにその断片化され、限られた空間(スペース)で他者に関心を持つことなく空虚な生を送る・・。

根を掴むこと。根源に還ること。ひとりの人としてただ在ること。

根源に正しく還るなら、はたして「私」は在るだろうか?

只「動き」がそこにあるだけではないだろうか?
2005.03.19(土) 二締の真理を瞑想すること。

深刻にならないこと。



言葉が感情を作り出す点に留意すること!
2005.03.23(水) 平静に。死を想え!
2005.03.25(金) トンレン(24時間)。

慈悲という言葉からすでに「悲しみの共同体(層)」への洞察が窺われる。

実体の無い苦しみに、我執がまとわりつき苦しみは増していく。
2005.03.29(火) その瞬間を想えば、もう何もすることができないと分かる筈だ。

すべてを委ねて、ただただリラックスしよう。根源の光とひとつになるのだ。

それは今ここにおいてすでに実行できるのだ。

執着がその実行を妨げているのだ。
2005年4月
2005.04.04(月) 生と死を区別しない。

時間は永遠に続く
ならば
永遠とは今だ
2005.04.06(水) 利他。生まれてきた意味。存在する意味。今ここでそう在ること。
2005.04.07(木) 怖い。
(「私」が消えることが・・!)
2005.04.08(金) 弥陀の本願と明智<リクパ>に留まることは似ている。

陰の力の前では只リラックスしたらいい。
2005.04.13(水) 〈私の今日の状態〉
2005.04.14(木) 3日前から左手も使って食事をしています。両手ともかなり動きが悪くなっています。 首の支えが悪く
2005.04.19(火) どこからか風が入ってきている。
危機感を煽りすぎてもよくない。
2005年5月
2005年6月
2005年7月
2005年8月
2005.08.11(木) ヤザキさんが来てくれる。

パソコンの操作は本当に大変だ。

Sさんから又感動的なメールを頂く。
2005.08.14(日) ゆっくりと、くつろいで、油断なく。

真剣に。だが深刻にならないこと。



僕の内側で起きていることと、外の世界との開きーーー。
2005.08.16(火) キリスト者の支援は具体的且つ積極的だ。僕の周りを今キリストの光が取り巻いている。
2005.08.17(水) 「幸せ過ぎてこわい。」だなんて、まるで歌謡曲の台詞みたいだが、今現実に起きているコトだ。

1プラス1が2以上になるのが、人との出会いだと改めて学んでいる。

Sさんとの御縁を神仏に感謝しているーー。合掌。
2005.08.18(木) 共感というよりは共震してくれる人。共に震えてくれる人。本質に迫るほど波は細かく言葉は無用だ。



とにかくよく泣く。
2005.08.19(金) 泣く理由は、感謝が8割、後悔の念からが2割。
2005.08.20(土) 変えられるコトを無意識に諦めているコトが余りにもおおくあることに驚いている。
2005.08.21(日) 忘れないように(!)。目的と動機の確認。
2005.08.26(金) 無常(taO)に親しむコト。

一昨日起きたコトの余韻が今もぼくの全身を包んでいるーー。
2005.08.27(土) 「ワタシノヨウナ者ガ ナゼコレホドノ素晴シク立派ナ方々ニ カコマレテイルノダロウ。」

気を抜くとたちまちーー。
2005.08.28(日) 比較して嘆いてみても意味がない。

ワタシはただただこうなのだ。

遺書のつもりで、日記を書いている。
2005.08.29(月) 悲しみの流れ(共同体)を拒絶するコトから怒りが生まれる。
2005.08.30(火) 生は死を含む(生きるコトは死ヌコト)

死は生を含む(死ヌコトハいきること)
2005.08.31(水) 正に人生は修行やナ。
2005年9月
2005.09.01(木) ゆっくりと病状は進行している。

「お変わりないですか?」なんてあいさつするけど、変わっていく瞬瞬に直面する日々を送っている。
2005.09.02(金) 「普遍性を前にした時、人は最も個性的になる。」  シュタイナー
2005.09.03(土) とにかく必死の想いで生活しているーー。
2005.09.04(日) 余裕はない。だから退屈はしない。厭でも今ここに耐えず集中している。御蔭で発病前の何十倍の気づきの恩恵を戴いている。
2005.09.05(月) コノ苦しみを享受することが、一切衆生の苦しみを少しでも和らげる一助とナリマスヨウニ。
2005.09.06(火) 「生は聖なるものである。」 クリシュナムルティー

こうなってやっと少し分かってきた...。
2005.09.07(水) 最後のLESSON

明らめること  手離すこと  (世界をあるがままに)受け入れること  怒らないこと  笑うこと  泣くこと  ゆっくりと進むこと  よく観察すること  無常を知ること 縁起を知ること
2005.09.08(木) 自分でも驚く程感じ易くなっている。

数分後には召されると想って、今を正す。
2005.09.09(金) 油断して、枕とベッドの間に挟まってしまう(!)。夜。手が挟まれて中々コールが押せない!なんとか押せて看護師さんに来てもらうーー。

心臓バクバク、ショックでその後興奮して中々寝付けない。

伊東先生にお会いして、改めて意識の在り方がその人の存在性の強さとイコールであることを学んだような気がする。

あぁ、何もかもすべて世界に捧げたい気分だ!
2005.09.10(土) 動けないワタシに何ガデキルカ? 

生を「栄光(の型)」として捉える。


御心のままに

準備スルベシ
落ちつくベシ
逃げるベカラズ


南無阿弥陀仏
根源に
無に
無から
無へ


空!


不思議
不思議!
2005.09.11(日) 9.11。あれから四年。



 コレガワタシノ仕事(work)ココガ私ノ居場所 カミニアタエラレタ場所 コレガイマノ私ノヤクメ 
 


(100%)引き受けるコトデ  (シンカハ)(カルマハ)促進サレル



大事ナ モノ/コト ハ 目ニ見エナイ
2005.09.12(月) 此の世で一番早く揺れ動くモノ  心

 動けなくなる程、観察の対象は 心に 向かう



 「ゴメンナサイ 私ハ アナタヲ ヨク ミテマセン 私ガミテイルノハ ワタシノ アナタノ image」
2005.09.13(火) 次の段階(プロセス)に入ったようだ。

死を前より感ずるからーー。

だが、前より恐れはなくなった。


もっと静かに  (沈黙)
2005.09.14(水) もっと静かに



 茲はそこ

 時計の無い所



 ダカラ静カニ



 ミキさんと村上さんが、目の前で踊ってくれる(感激!)。

 踊りの意味を尋ねたら「解脱(モクシャ)」だって(!)。
2005.09.16(金) 時々とてもポカンとする。 

 いい感じーー。

 広大な広がりの内に在るような感覚。
2005.09.17(土) 人は病(気)を通して(通過することによって)、肉体的、精神的、霊的に、より成長するのであって、病気を健康に対立することと見ているうちは、病を超えることはできない。



喜べ!これで過去のカルマは清算されるのだから。だから受け入れよ!



悲しみの川を下る。

海に向かって。 
2005.09.19(月) 背後(目に見えない)にある動き(意志。宇宙意志。無意識。)に、より注意すること。

霊(スピリット)を観じたいなら、そうすることだ。

徹底した観察。

(タトエバ世界ガ無常デアルコトは、隠れてなんかいない!目を背けてイルノハ誰ダ!)
2005.09.20(火) 怒りガ起こったら、即「悲しい」と言う。

怒りガ如何に心身にダメージを与えるかについて、身をもって知った(まさに地獄だ)。



赦すコト



怒りの裏の顔は悲しみである。

悲しみに沈むと、そこには(悲しみの)流れがあることに気がつく。
2005.09.21(水) 涅槃(死)にも執着しないコト



何処にも執着シナイコト



「初めマシテサヨナラ」



サバイバル。入院生活を一言で言うと。或いは修羅(!)。



病院という「場」の閉塞感は、病気を健康と対立するコトとして認識している、我々の誤った見方による。
2005.09.22(木) うけることが、今のボクの仕事

あるがままを受け取ること
2005.09.23(金) 朝目が醒めて首を捻ったら、とたんに景色が回りだした。たぶん首の筋肉が弱って、首の骨が捻じれ易くなったのだろう。
2005.09.26(月) そこに

石があるように



世界は



なのだ



侘しい。淋しい。じゃなくて、わび。さび。

苦しいのではなく、只、只、苦の体験をしていくのだ。

(「形容詞体験」から「名詞体験」へーー。)



シュタイナーが言うように、地球は未来に於いて、「愛が結晶化された星」になるのだろう。



本当はみんな修行している
2005.09.27(火) 石も動いている

 地球は回る

 太陽もまた

 宇宙もまた



「早く!」と、言わないこと
2005.09.28(水) 絶望こそ希望である



すべてのモノは動いている!

何たる奇跡!

不思議!不可思議!



明日また中央へ。
2005.09.29(木) 結局執着しているのだ。
2005.09.30(金) 御心のままに  南無阿弥陀仏



ある意味、地獄だナ..。



「理解とは誤解のことである。」 野口三千三



アナタ/ワタシ の無意識が、ワタシ/アナタを苦しめる。



マダ続くの?モウ イイデズヨ!
2005年10月
2005.10.01(土) タダ生きてる だけ



二度と

会えないと

覚悟して

友を見送る
2005.10.02(日) 「諦めろ(明らめろ)!」と声がする

(ソレニシテモ ナンテ世界ナンダ!)



さらに追い詰められている



あぁ!シュウチャク!
2005.10.04(火) これからのWORK

1 絵を描くこと

2  日記の公開

3  ぼく(の病気)に関心がある方があれば、なるべくお会いすること
2005.10.05(水) 4 磯野先生(主治医)宛にALS患者のひとりとして文章を書くこと。
2005.10.06(木) 5 志賀さんの阪大での仕事に、協力できることがあれば、できるだけ協力すること。
2005.10.07(金) すべての行為(WORK)の動機と目的が、「聖なる教え(TAO)」の道に沿っていますように(!)。
2005.10.08(土) これも自然の詩
2005.10.10(月) あと2年以内。

明らめよう 手離そう

祈りと瞑想の内に生きよう



敢えて言いますーー。

苦デスヨ  タダ、タダ
2005.10.11(火) 信仰心とは探究心のこと
2005.10.12(水) 緊張の連続
2005.10.13(木)
2005.10.16(日) リチャードさんへ



偶然などないと

古の教えは言います



無意味なコトなど無いと

無駄なコトなどないと

古の教えは言います



私はこの病気になって

そのコトの真実を

学んでいます
2005年11月
2005.11.03(木) 疲れた..。同じコトを何度も言うことにーー。
2005年12月
2005.12.08(木) 肉体という苦の花を咲かそう
2005.12.10(土) 痒いところが掻けないって、かなりの苦痛です。
2005.12.17(土) 全力を無理をすることと、よく間違える。
2005.12.19(月) 比較して嘆くのは無意味(間違い)。
ただただそうなんだ
2005.12.28(水) ケン・ウィルバーの本を朗読して頂いている。 ケンの本を読むこと自体、瞑想になる。至福の時間。
2005.12.29(木) 「苦しみはそこに境界(自己と他者)があることを教えてくれる。」
2005.12.30(金) いつの間にか、僕の中から季節が消え、最近は時まで止まったようだ。
ある意味、今のほうが本質(根源)に近く生活しているような気がする。
2005.12.31(土) ALSではなく、A-LSD!新種のALS!笑いました。さすが伊東先生。ユーモアのセンスも達人ですね。
2006年1月
2006.01.01(日) いつも苦しいということは、いつも元旦みたいな気分で過ごしているようなもんだ(苦笑)。
2006.01.02(月) 嬉しいことが続くと不安になる。おそらくそのコトに執着するからだ。
イイコトモ悪イコトモ、ヤガテハ過ギル。
「無常を友とせよ。」
2006.01.03(火) 「苦しみは慈悲の始まり」
 意思が伝わらないことが、身体的苦痛となって跳ね返る。
2006.01.04(水) 「I様  このような病気になった者にとって、この苦しみを少しでも軽減するには、内面世界を変えていく以外、本質的に救われるコトなどないような気がしています(すべての人にとっても病気である無しに関らず、こう言えるかもしれませんがーー)。」
2006.01.05(木) 本質に迫るほど聖性(真性)さは増す。より冷徹な世界に入る。
 救済されることは表層に於いてはない。
2006.01.06(金) いったい聖なるモノ/コトなど、真剣に探求している人がー現代に於いてーどれだけいるだろう
2006.01.07(土) 「死んだ方がマシ!」と、心の隅で思って
いたコトに気がついた。
2006.01.08(日) ようするに楽になりたいんだ。
 チベット仏教によると、人は死後、バルド(中有)といわれる世界に入っていくという。
2006.01.09(月) 死んでも「私対世界」の構造が続くなら、苦しみは続く。
2006.01.10(火) いつも苦しいので、エゴ丸出し。
2006.01.11(水) 縁起について瞑想する。心が広がり、落ち着いていくーー。
2006.01.12(木) 最も嬉しいこと二つ。
触れられること。
普通にー文字盤を使ってー話しかけられること。
2006.01.13(金) 1年以上、何故かクシャミが出なかった。
 それが先日、立て続けに4回ほど出て吃驚した。
 気持ち良かったが、からだが一瞬宙に浮き、姿勢が大きく崩れた。座っているときは、絶対に我慢しないとベッドから転げ落ちるので要注意。
2006.01.14(土) 誕生日。
 いつの間にか「私」がいて、「世界」が「私」を取り巻いていたーー。
 さて、「世界」と離れて「私」は存在できない。では、「世界」は「私」と離れて存在できるのだろうか。
2006.01.15(日) 春のような日差しの中での散歩
 ぼくもあなたも無く
 ただただ
 ひかりが在るだけでした
2006.01.16(月) 明日から個展で慌しい。
註.<1月17日(火)~22日(日)ギャラリー・アール
「一畳百色」甲谷匡賛作品展 ~ALS(筋萎縮性側索硬化症)の病床から~>
2006.01.17(火) 落ち着くべしーー
2006.01.18(水) 筋肉が萎縮しているので、感情の表出がおかしくなった。
2006.01.19(木) 笑うと泣き顔になり、そのまま大泣きすることがよくある。
 皆さん、誤解しないように(笑)!
2006.01.20(金) ワタシノヨウナ者ガ 何故コレホドノコトヲ シテイタダイテイルノ?
2006.01.21(土) やはり少しHIGHになっているーー。
2006.01.22(日) 「今何か(言いたいこと)ある?」
 頻繁に掛けて欲しい言葉。
2006.01.28(土) ヨーガ行者のN先生が来てくださる。  改めて「私」の役目を確認する。
2006.01.30(月) 「いさぎよさ」 起こるものは、しかるべくして起こる故。
2006.01.31(火) 「からだが動かせない」という言葉(情報)は伝わるが、これが具体的にどういうことかということは、想像してもらうしかない。
2006年2月
2006.02.01(水) 情報をかき集めると、賢くなると錯覚する時代。
2006.02.02(木) 情報が金になる時代。
2006.02.06(月) 日記を書くのも、食事を取るのも面倒なほど、絵に集中している。
2006.02.08(水) 薬の副作用で、眠い、眠い。おまけに鬱っぽい...。
2006.02.10(金) 周期的に死の不安に圧倒されるーー。
2006.02.12(日) むせがひどく、食べるのが困難。それ以上に困るのが絵を描くのが不便なこと。
2006.02.16(木) 昨日久しぶりに体重を計ったら、なんと47kg!この1年で8kg増えた!
2006.02.18(土) むせがひどく次の段階に入ったかなーー?
2006.02.19(日) 数日前から吸引をしている。
2006.02.20(月) 伊東先生が、また来てくださる。昔の稽古人の話が数多く出て、楽しかった。
2006年3月
2006.03.01(水) むせがひどく日記はもちろん、絵もメールをするのも辛い。
2006.03.02(木) いずれ終わる。カルマが尽きればーー。
2006.03.03(金) 理由は何であれ心を乱せば、それは間違っている。
2006.03.04(土) 深く行く為に苦しんでいる。
2006.03.05(日) かつて無いほどキツイ精神状態になったーー。
2006.03.11(土) 青木先生からのメッセージ。これからは「精神の戦い」だけ。
2006.03.12(日) むせてほとんど毎日書(描)けない。
2006.03.13(月) Sさんへ
  「鬱になる余裕すらない。」と言ったけど、ここのところのこの虚しさはウツなのかな。
2006.03.14(火) 病状が進むほど動作は緩慢になるが、意識は加速し続けていく。
2006.03.19(日) 病気になって心は返ってオープンになった。
2006.03.21(火) 脳の基底部の活動を抑制できないと、所謂「感情失禁」が起こるとのこと。
 あぁ!それだわ。
2006.03.29(水) 転院が決まる。これで最後の場所になるのかな(?)。
2006年4月
2006.04.06(木) 31日、転院。3日に院内で移動。近い内にまた移動の予定!
2006.04.08(土) 伝えていくこと。これが「私」の仕事(work)だとつくづく思う。
2006.04.09(日) 「私」が消え、「あなた」も消える
 わたし は、ひろがり
 あなた と
 ひとつになる
2006.04.10(月) 子供に話し掛けるように、話し掛けられることが少なくない(苦笑)。

 喋れないので、僕の要求を勝手に解釈されることも、少なくない(文字盤を使ってね)。

 素人ならともかく(!?)。

2006.04.11(火) もう転院しなくていい。という事実が、こんなにも心理的に影響するとは(!)。
 これでゆっくりと死に向かい合える。
2006.04.12(水) 療養病棟の雰囲気は、一般病棟とは違う。時間の流れが止まったようだ。
 死とは未来(時間)がないことだ。この病棟で死と向き合う。
2006.04.13(木) とにかく全力で。
2006.04.16(日) 寝返りを一晩に何度も(1時間から2時間おき)してもらわなければならないので、何度も夢を見る。
 それにしても夢の中の「私」は、なんて破廉恥なの!!
2006.04.17(月) むせがひどくなるまで、毎日好物のものを食べる夢を見た。
2006.04.22(土) むせがひどく、おまけに胸が苦しいので、歯軋りや、無意識に唇を血の出るほど噛んでしまい、ほとんど食べられなくなった。
2006.04.29(土) 本番直前の仕込をしているような気分で過ごしている。
2006年5月
2006.05.02 カーテンが揺れるので
風が吹く
わたしが気持ちいいと言うので
5月の風が吹く
2006.05.23(火) 当然のことだが、今も稽古の日々だ。療養などとは無縁だ。
2006.05.24(水) 分かち合えない孤独感。誤解されても笑う私。笑いながら逝きましょうか。
2006年6月
2006.06.01(木) 久しぶりに、怒りが長引いてる。
2006.06.02(金) ワタシの方は、「老いてますます盛ん!」のつもりです。
甲谷さんの方は、「病んでますます盛ん!」で行ってください!
不学
(伊東先生からのメール)
2006.06.06(火) この騒々しさの中で逝くのか(苦笑)。
2006.06.07(水) 数日前からまた吸引をしている。夜中にも咳き込むようになった。
2006.06.08(木) 姿勢のぐらつきがひどく、起きていても何も出来ないことが増えた。
2006.06.09(金) ヴィパッサナ(観行)とトンレンが、今の主な修行。
2006.06.10(土) 淡々と。
2006.06.11(日) 体がきつい割には、明るい夢をよく見るようになった。
2006.06.21(水) 最近は、むせがひどく、痰を引いてもらうことも増えました。パソコンをするのもそれこそ必死ですが、まだまだ絵を描くことは、楽しいですね。
Nさま         こうたに拝
2006.06.23(金) 普通の会社なら、とっくに改善されていることや、こんな人が何でクビにならずにいるの?!ということが、 あまりにも病院や、学校に(要するに公務員に)多すぎると思われませんか?

Nさま       こうたに拝
2006.06.25(日) こちらに来てから、注入を半分に減らした。
昨日体重を計ったら、43.4kgだった。
中年太りではなく、注入太りだった。
2006年7月
2006.07.02(日) からだが動かなくとも、気持ちだけは、這ってでも前に行くーー。

全力でのリラックス。
2006.07.12(水) 改めて執着の恐ろしさについて思った。
2006.07.18(火) 「わたし(あなた)」がイル(要る)コトで、宇宙はバランスを取っている。
2006.07.19(水) 指1本動かすだけでも、宇宙をかき混ぜることになる。
2006.07.20(木) 空即是色。

『それがワタシ(アナタ)の精一杯なの?』

2006.07.21(金) 『こういう風に思われたい。』という自己イメージが、感情失禁によってことごく崩されていく。
2006.07.22(土) からだが弱るほど、人の言葉遣いが気になるようになった。

荒い言葉は、心身と環境にダメージを与えることがはっきりと見えてきた。
2006.07.25(火) Y様
今、とは何でしょうか。現在とは何でしょうか。
物質が無ければ時間も存在しません。
また物質が在っても、人間(自我存在)が出現しなかったら、
時間を認識する者など何処にもいないでしょう。
自我の出現を物質に対する執着と解釈すると、そこから時間が発生します(思考も)。
真実は『今』しかありませんから(過去も未来も思考の産物です)、 『今とは(時空を超えて)永遠』のことです。
もしも今に在り続けることが可能なら、自我は死ぬでしょう。

空即是色。
コスモス(空)はー自我を含めてーたゆみなくこの物質世界を表出し続けています。
自我にしてみれば、この世界の基盤とは『苦(四苦)』に他ならないゆえ、 『生をまともに見ない限り(鈴木大拙)』、苦しみの果てる日は無いでしょう。
ー「まともに見る。』とは、前述したように『自我の死』を意味します。
その意味で『苦』とは、私にとって別の言葉で言うなら「瞑想」です。
瞑想を「あるがままに在ること」と定義するなら、
自我のどのような行為も(修行さえも!)、在るがままにあらざる行為といえないのでしょうか。
矛盾した言い方になりますが、果物に例えて言うと、
自我は熟して木から落ちない限り、無我の洞察は無理なのではないでしょうか。
今回のメールは、このあたりまでにしようと思います。
大変刺戟的なメールをありがとうございました。
こうたに拝
2006.07.28(金) こうなった(病気、年をとったetc)からこそ、こんなことが可能になった。
2006年8月
2006.08.01(火) 本当(真実)に瞬瞬は『驚きの連続』だと観ずるようになった。

このことに気づかないのも,また「驚き」だ(苦笑)。
2006.08.02(水) 別の角度から見ると、全く別のコト/モノに見えるほど、新鮮に映ることが稀にある。

今日それが起きた。
2006.08.03(木) (心身を)細かくしていくにはー当然だがー、より律していかねばならない。
2006.08.04(金) 言い換えれば、自らより不自由な「場」に身を置くということが自由ということである。
2006.08.05(土) 『私』を通して『病(四苦)』は表現される。
2006.08.06(日) 夜。目の前のベッド柵の上を、ゴキブリがゆっくりと横切っていった。
2006.08.07(月) 『早く楽になりたい!』と言うのはエゴ。
2006.08.08(火) Oさんから頂いた、ダライ・ラマのチャンティングのCDが、涙がこぼれるほど素晴しい(!)。
2006.08.09(水) クリシュナムルティが言うようにー改めてー『世界とは私のことだ。』と観じた。
2006.08.10(木) 4年前からアメリカに住んでるM夫妻と1年ぶりに再会した。
2006.08.11(金) ほんとうはみんなめいそうしてるんだ。
2006.08.12(土) [夢] 上空に顕われたUFOに吸い込まれる夢。

(たまに見るのは、何か意味があるのかな?)
2006.08.13(日) 絵を描くことは、今のぼくにとっては『止行。サマナ。禅定波羅密』。
2006.08.14(月) 「N様

「明るいニヒリズム』という言葉を聞いた途端、

「明るい犬死に」という言葉が浮かびました。

自分で結構ウケタので(笑)、

メールしました。

こうたに拝」
2006.08.15(火) 偶然を認めるとニヒリストになるんじゃないかしら?
2006.08.16(水) 宗教を盲信する人よりは、唯物主義者の方が霊性は高いと思う。

(ニヒリスト、イコール唯物主義者ではないかな?)
2006.08.17(木) 待っているということを忘れてしまうくらいにならなければ、忍耐の修行は勤まらない。
(入院生活は正に、忍耐の日々だ。)
「ゆっくりと急ぎなさい。」   ミラレパ
2006.08.18(金) 実際は葛藤(格闘)生活。
2006.08.19(土) 物質主義(唯物主義。還元主義)を如何に超えるか?が、現代の公案。
2006.08.20(日) チョギャム・トゥルンパが言っていた様に、「精神の物質主義」化は、益々悪化しているように思える。
2006.08.21(月) 逃げられないのに、何で逃げようとするのかね!ったく!
2006.08.22(火) 「苦」を体験(学ぶ)するために生まれてきたのだ。
2006.08.23(水) 「不善なエネルギー(カルマ)がたくさんあるから(今も造りだしている!)、こんな目にあうのだ。」と解釈すると、一番腑に落ちる。
2006.08.24(木) 未だに動けなくなった自分を嘆いてる「私」がいる。
2006.08.25(金) ヴィパッサナはー改めてーいい(と思った)。
2006.08.26(土) 「ひとり在ること」の大切さ。
2006.08.27(日) 「あなた」とひとつになるために
「わたし」は
「ひとり在ること」を学んでいます。
2006.08.28(月) 必要なことだけ起きている。
2006.08.29(火) 「霊に礼!」

胃ろうを交換した。
2006.08.30(水) 同じコト(過ち)を何度も繰り返すーー。それだけ根が深いのだ。
2006.08.31(木) それでも「これでよくなるのだ。」と思って、懺悔する。
2006年9月
2006.09.01(金) いつものようにー夜中の2時頃ー寝返りをお願いしようと、ナースコールを押したがベルが鳴らない(!)。1時間ほどしてスイッチの異常に気づいた助手さんが来てくれて、事なきを得た。
この1時間の間にいろんなこころを見せていただいたーー。
2006.09.02(土) 秋の風を感じているのが『私』なのか、風が『私』なのか、というような体験をした。
2006.09.03(日) いつになくハイ・テンションだ。
2006.09.04(月) 9月は『苦』月。
モットショウジンシナクテハ。
2006.09.05(火) 辛いことのほうが多いのに、何でこうも執着しているのだろう。
2006.09.06(水) 「ほめられたい」。「注目されたい」。「愛されたい」。こんな欲求がいまだにある。
2006.09.07(木) 顔を背けるから気づけない。背いていることに気づいているなら、ひとまずOK。
2006.09.08(金) 溜めたモノ(カルマ)は、必ず出る。
2006.09.09(土) 対象と密になるほど、カルマは表出しやすくなる。
2006.09.10(日) 他人を見てるとよく分かる。言動に無意識な人ほど、愚かに(醜く)見える。
2006.09.11(月) もちろんわたしもそうだ。無意識を意識化していくためには、膨大な時間が掛かる。輪廻を信じる理由の一つだ。
2006.09.12(火) 苦しいときも文字盤を使わなければならない。間に合わなくて、よく硬直が起こる。
2006.09.13(水) 「早く、早く!」が、ぼくのこころの悪い癖。
2006.09.14(木) 残されたエネルギーは、内部へ内部へと進んでいるような気がするーー。外のことは本当に幻みたいだ。
2006.09.15(金) 今日体重を計ったら、43.3kg。前回とーあまりー変わらず、こんなもんでいいかなと思う。
2006.09.16(土) 病気になってからの方が、なんだか賑やかだな(苦笑)。
2006.09.17(日) 「永遠の今」について瞑想しているーーー。
2006.09.18(月) このベッドで眠り
食事をし
排便をし
友人らと会い
泣き
笑い
絵を描き
メールをし
祈り
瞑想しているーーー
2006.09.19(火) どんな瞬間にも意味がある。
2006.09.20(水) 朝からジミヘン♪大音量で聴きたいな(!)。
2006.09.21(木) 単に気持ちいいだけが瞑想ではない。
2006.09.22(金) 落ち着くべし。只スキ無く淡々とやるべし。
2006.09.23(土) こうなってみて「普通(一般的)」って、ちっともフツーじゃないって、すんごくわかった。
2006.09.29(金) パソコンのスイッチが壊れて、仕事が半分以下の量しか出来なくなった(絵も描けなくなった)。
2006年10月
2006.10.06(金) スイッチがようやく直った。
動ける間はー改めてー全力で動きたいと思った。
2006.10.07(土) ほどほど(中庸)は、左右に大きく振れないとわからない。
2006.10.09(月) 「苦」を観ることが、人間としての仕事。
2006.10.10(火) 最近は、泣いて(怒って)ばかりいる。
2006.10.11(水) 「深い悲しみーーー。」
2006.10.12(木) 「愚。」...。
2006.10.13(金) 空を見ているのは、私ではない。空も「私」なのだ。

今日の体重42.9kg。
2006.10.18(水) 一日に何度も決意をあらたにし、覚悟を固めていくーー。
2006.10.20(金) シュタイナーが言うように、カルマと言っても、民族や時代のカルマも「私」の内にある。
2006.10.21(土) このことの認識は、仏教の縁起の教えに通じ、「無我」の認識に至る。
2006.10.22(日) 弟からのメールを読んで、あらためて「苦」を強く観じた。
2006.10.23(月) 「苦」を観なくては、「苦」を超えることは出来ない。
2006.10.24(火) 「早く逝きたいなぁ...。」
いまだにこんな言葉が、フッと出る。
2006.10.25(水) つまり早く、ホッとしたいのだ。
2006.10.26(木) (「苦」を)忘れようとして生きようとしているのだ。
2006.10.27(金) 「もう飽きたな...。」
2006.10.28(土) 「苦」を観じて来なかった分、今になって苦しんでいるーー。
2006.10.29(日) 「無明」とは、正にピッタリの言葉だな。
その意味で「苦」とは、光なのだ。
2006.10.30(月) 「やっている」のか「やらされている」のかわからない。
2006.10.31(火) (当然だが)個展をする度に、縁が広がる。
2006年11月
2006.11.01(水) ケンコーなときほど、「苦」を忘れている。
2006.11.02(木) 怒りで眠れなかった...。
2006.11.03(金) 御棺に入れられて、死んで往く夢を見た。妙にリアルな夢だった。
2006.11.04(土) 感覚のことは決してオベンキョーではわからない。
2006.11.05(日) どう見ても不自然な姿勢なのに、「どうしたんですか?」と訊かれると、呆れる以上に怖くなる...。
2006.11.06(月) 個展を控えて、疲れ気味だ...。
2006.11.07(火) これでいいんだ。
2006.11.08(水) 「私」はからだ(肉体)ではない。
心でもない。
対象化できるモノ/コトは、わたしではない。
2006.11.09(木) 「私」が広がれば広がるほど、私は世界と一つになる。
2006.11.10(金) 死、死、死!
2006.11.11(土) 死死死死
死死死死
死死死死
死死死死

(「死死十六曼荼羅」)

今日の体重42.4kg。
2006.11.12(日) 「私」にはできないことがある
「私」にしかできないことがある
2006.11.13(月) 「そうなのだ(!)。」
わたしにしかできないことを

やればいいのだ
2006.11.14(火) まるごとなげだせば
もともと
わたしなど
いないのだから
2006.11.15(水) 「未来はいらない。今が欲しい。」 
               土方巽
2006.11.16(木) このような病気になると、自ずと明日は消え、今と直面せざるを得ない。
2006.11.17(金) 要はこうなる前から、常に「苦」と共に在れば良かったのだ。
2006.11.18(土) 「苦」は開けっ広げだ
  隠れてなどいない
2006.11.19(日) 「無常」もそうだ
2006.11.20(月) リアリティーはあまりにも身近なので、見えにくい...。
2006.11.21(火) リアリティーはあまりにもシンプルなので、捉えにくい。
2006.11.22(水) 「苦」は石ころのように 
   そこら中にごろごろ在る
2006.11.23(木) 私という現象はーー」 賢治のこの言葉が、今の私にはとてもリアルだ。
2006.11.26(日) 昨日の鷲田先生のお話をお聴きして、あらためて「縁起」について考えさせられた。
2006.11.28(火) 横浜でハイになったせいか、帰ったら不満だらけになってしまった(情けない...)。
2006.11.29(水) 一日中メールの返信ばかりしている。
2006年12月
2006.12.05(火) 豚のように健康でも、しょうがないでしょ!
2006.12.06(水) 「私」は幸福だ
  「苦」を日々味わっているので
  味わうほど「真」に
  目覚めることが可能だからだ
2006.12.07(木) 深く味わなければ、自我(エゴ)は死なない。
2006.12.11(月) 来年は発病して5年になる。
  ALSは5年以内に8割の方が、ー呼吸器を付けない限りー亡くなる病気と聴いている。
  横浜が終わって、あらためてこのことが、最大の公案と再確認している。
2006.12.12(火) 来月で四九になる。
  七年ごとに、人生の節目に会うという霊学の説を信じているので、来年は発病五年目ということもあって、覚悟を新たにしている。
2006.12.16(土) 世界を観ずるほど、世間から気持ちが遠ざかる。

今日の体重42.1kg。
2006.12.17(日) 「選ぶことは捨てることである。」
人類(日本人。私)は何を選び、何を捨ててきたのか?
2006.12.19(火) 本当は、選ぶということは、抑圧することではないだろうか?
2006.12.23(土) 呼吸器を選ばないことで、失うモノ/コトは何かな?
呼吸器を選ぶことで、失うモノ/コトは何かな?
2006.12.24(日) 明らかに見ることによって、はじめてあきらめる(手放せる)ことができる。
2006.12.25(月) 本当に「あきらめる」ことを望んでいるのかーーー。
2006.12.26(火) どうやら節目に差し掛かっているようだ。
ついつい深刻になっている「私」に気がつくーー。
2006.12.27(水) 最近少しづつキツクなっている。

不学先生とニコルさんが来てくださった。
2006.12.29(金) 全力で
死のう
精一杯
死んで往こう
2006.12.30(土) 「解脱したい!」という科白より、「早く往きたい!」という科白の方が多いのが、我ながら情けない...。
2006.12.31(日) 確実に弱ってきた。
2007年より日記をこちらのブログに移行しました。